大学で開催された、実務訓練に関するシンポジウムについて実際に提出した文書である。
日本人は独創性に欠ける、これは真だろうか。日本人が独創性を発揮した一例である、浄土真宗を例に挙げる。本来、仏道は自力、つまり自分で厳しい修行を積んで悟りを得るのが当たり前であった。しかし、親鸞は「阿弥陀は全人類を救うはずなのに、厳しい修行を積めない者は救いの対象外なのか。」と疑問を抱き、念仏を唱えることで誰もが救われるという、新しい宗派を設立した。従来の仏道のあり方とは正反対でありながら、仏教の本質に矛盾しない、まさにイノベーションを起こしたわけである。
また、仏陀は自分の教えについて、自分の説く教えを信じるのではなく確かめろと言う。これは、武道や落語における守破離に表される、まず型を完全に再現し、型をアレンジして、新しい型を開発する成長プロセスの根本的な考えに思える。高度成長期におけるコピーキャット的な日本製品は、潜在的に守破離の考えに基づき、この「守」や「破」の段階にあったと思う。
我々は次の「離」に到達することを-脅迫的に-求められている。実務訓練の話をすれば、初めの「守」を「知る」のに有益と感じる。大学での学習とは異なり、実際に現場で手を動かしたり、クライアントとの関係から学ことは多いだろう。しかし、半年程度では「守」を知る範囲にとどまるだろう。
コロナ禍において、企業の経済的ダメージを察するに離職率もさらに増えるだろう。元より、新卒の3年以内の離職率は30%であり、「離」を得られるどころか「守」の習得すら危うい。終身雇用は守破離を実現するのに理想的と思うが、その雇用形態は形骸化している。日本人の精神背景から察すると、日本がイノベーションを起こせないのは当然と思いざるを得ない。脅迫的なグローバリズムや、流行りだけの技術を取り入れて、日本人の考察を怠る姿勢に私は不安を覚える。